シークレットピアス

「閉じそうなピアス穴が埋まりきらないうちに目ぇ合っちゃいましたってんならまだ言い訳もきいたのにねえ」

悪魔のように整ったカオをした目の前の男は微笑む。この忌々しい背を引き裂いた、忌々しい羽根を透かせて。

「おっせーーーーよ」


シークレットピアスの透明、跳ね上がる日曜の午後一時。グラスすら冷や汗をかくふうでもないカラリとした晴天、降水確率10パーセント。

狭苦しいこの町で再会を果たしてからというもの月に一度の頻度で会うようになり、ついに片手じゃ足りなくなった。切れ長の目元にはいつも仄暗い隈があった。

クク。

夜色のクク。

幽霊のように白い肌がよく映えるよ。ああ綺麗ね、自然体で、違和感がなくて、うん、馴染んでる。

ただ、詰まらない。どーしよーもなく、詰まらない。

似つかわしく金属質な愛しの声が店内に通る。そのたび、ぴんと張ったピアノ線が揺らぐのだ。冬の夕焼けみたいに。いっそ、夏の宵みたいに。

カンカラン。

毎度ながら突然呼び出しといて。貴方と違って暇じゃないんですけど。どんな悪態をついてやろうかとどっかり腰掛ければタイミング良く運ばれてきた良い香りの紅茶。まだ頼んでいない。握り拳解いてとびきりのアイスティーに口付けるわたしには、一生かかってもテーブル越し、サイフォンのガラスをノックするこの男を突き放すことはできない。

とりとめのない会話。星撫でるみたいに、ぽつ、ぽつって。

逃げ出したいわけじゃなくって、逃げ出せない。

言葉の端を滲ませるのをサイフォンに手伝ってもらいながら、彼は今日も耳朶の透明に触れる。

「ピアス、なんでやめたの」

「彼女がしなくてもいいよって、髪色も。でもこのシークレットピアスだけは嫌がる」

「怒るの?」

「怒らない。でも、俺がこれに触れる間だけはぜったいにこっちを見ない」

「ふうん」

そう、彼女、嫌いなものは見たくないのね。食い入るように見詰めてやった、焼けるほどのレーザービーム。

「髪、伸ばしてんの?」

「ククのその自意識過剰はいつんなったら治るわけ」

「は?」

「ロングヘアが好みなんじゃなかった?」

貴方はそんなふうにわらうひとではなかった。もっともっと綺麗なひとだった。欠けすぎた三日月みたいで、もっと。

肩に跳ねるのを無理矢理捻って浮かせた髪を梳く。冷めきってる。

「...にんげんは女性の髪の長さだとか男性の職種だとかピアスの数だとかじゃなくもっと揺らがない部分で決めるべき、だから」

ククはよくわからない宇宙人の言葉(のようなもの)を吐いて、瞳は濁った湖の底から見上げるように此方に跳ね上がる。

彼はヒトをにんげんと呼ばない。それをわたしはよおく知っているし、知っていることを彼もよおく知っている。

「…………なあに、彼女と上手くいってないの?」

「んん、なんつーか、……別れた」

目を見開くわたしに、白い歯を覗かせたしたり顔。

「あーーー、リリはさあ」

ククに名を呼ばれると黙って視線だけ送る癖が、抜けない。放たれた声の余韻にできるだけ長く浸っていたかった。鈴が、鳴るからだった。

「よく俺の髪を色とりどりにしたよなあ。バッサバサに傷んでもわらいながら触って。ピアスだって痛ぇのは嫌いっつったのに、なんども、なんどもなんども」

ククの表情は前髪に隠れて見えない。

「あれはなんで?」

.....あの日。雪の日。まだ空だって遠くて、背だって変わらなくて。何十回も訪れた看板の錆びた動物園、刺すような寒空の下、ひとが集まるはずもなく貸切状態。いつもよりさらにちいさな四角に閉じ込められた動物たちに、一体あの頃なにをおもっただろうか。ああ肩の触れる距離にいる貴方のことで目一杯だったっけな。

行動可能範囲が広いことだけが自由ではない。それを証明するような日々だった。

「ぜんぶぜんぶ投げ捨てちゃって構わないから」

「は」

「そう言ったのはククでしょう」

バス停前、大き過ぎないギター背負って角の丸まったキャリー引いた背格好、卒業式翌日、18歳。制服の形だけ区切られてた昨日までから随分経ったみたい。自らを隠すように霧の濃い早朝を選んだのがククらしくて愛しかった。

「なあ、リリ」

「...」

「結婚しようか」

あの日のギターも賞状筒も三日月も当て嵌めようとしたピースも、欠けたまんま深い眠りについてた。

ねえ、このまま旅にでようよ。

だいすきな雪もだいきらいな桜ももういちど見せてよ。

「はい」

帰り道、跳ねる耳には、悴まないようお揃いの不透明ひかってた。

卒業祝い。