回り灯篭

雪の降る動物園に行ったことがある。

ふたりで抜け出した狭苦しい町、収縮してく。ピアスホール空いた切符握り締め乗り込んだそこは、がたがた蠢く動物の体内のようだった。

当時、日の射す時間帯に隣の尖った耳した中学生の彼の姿を認識したのは初めてだったが、幽霊のように青白い肌が一層強調された程度だった。



「それ、おもしろい?」

「……」

「それ、おもしろい?若しくは、星、好き?」

「……」

「それ、おもしろい?若しくは、星、好き?若しくは、……線香花火、しない?」

「……......する」

本を閉じる。新月の冬の夜、壊れた遊具のある公園で声を掛けてきた彼は、疎ら星空のようにどっぷり沈んだ瞳をしていた。

「いつもここにいんの、見てた。お母さんが心配すんじゃねえの」

「いない。死んだの。ママもパパも」

お星様にはなれなかったみたい。だってなっていたらわかるから。この星の数から見つけることくらい、できるはずだから。そう零せば彼は、目を見開くことも手を握ることも眉を下げることもせずにゆっくりと瞬いた。奇麗。

彼がいまにも折れてしまいそうな蝋燭を立てたかとおもえば遠い国の船描かれたラベルの缶マッチまでもを取り出すので、つい口を開いてしまう。

「線香花火って着火してから段階に名前がついてんだって」

「聞かせて」

手渡された線香花火を彼の動作真似るようにして炎に翳す。柄震えだした、着火合図。

「……蕾...牡丹...松葉...柳...散り菊」

・わたしは、そこに、ふたつの狂い咲きの花の生涯を、見たのだ。確かに、見たのだ。

つぎの花は、ふたりで唱えた。

「蕾...牡丹...松葉...柳...散り菊...」

「蕾...牡丹...松葉...柳...散り菊......」

まるで世界の終わりで、可笑しくなって顔を見合わせてわらった。羽根の生えた雁字搦めの彼の顔が、花に照らされている。悪魔のように整った顔つきをしていた。


それから彼とは毎晩会った。リリ、と彼に名前を呼ばれるのがたまらなく好きだった。鈴が鳴るのだ。彼のいない中学校でも親戚のおばさんの家でもなんとか上手くやろうとしだしたのがこの時期。破滅願望は絶えずあったけれど、夜は彼がいっしょに沈んでくれたから。

読んでいた本に登場した麒麟の話が弾めば、彼は明日動物園に行こう、折角だから遠く遠くに行こう、と言う。そういうことひとつひとつがほんとうは泣きそうにうれしかった。


乗り継いだ先無人駅、辿り着いた看板の錆びたその動物園はひっそりと凍てついていた。あてどなく園内ふたり歩いていると、ひら。ひらひらひら。雪が、降りはじめた。それが此処のあるべき姿のようにすら錯覚する、そんな雪だった。

「冬のモンシロチョウみたいに降るね」

「ひらひらしてるね」

ひらひら。ひらひら。

麒麟を見つける。おなじ目線となれる場所に立ち、ふたりで焼くように見詰める。はじめて至近距離で見るその目は太陽が消滅したように黒い。作り出した柄。丸まった角が生えている。たとえ目線のおなじ此処にいても、他の誰にも奪わせず長い首揺らして歩行するそれとおなじ世界を見ることはない。


「泣いてんの?」

随分長居した。空の赤い帰り道、無人駅のホームで彼は珍しく定規を這うような直線的な声でそう言った。

「泣いてない」

「泣いてる」

「泣いてない」

「…」

「…麒麟がいたね」

「…麒麟がいたよ」

電車が来るまででいいよ。彼のはじめて聞くくらいやさしい声に、泣いてもいないのに喉がしくしく痛んだ。

「死ねって言ったの」

「…」

「今朝クラスメートがうちに遊びに来たの、近く通ったからって、わたし、中学でやっと喋れるひとができてきて、浮かれてて、わたし……いつもクラスでするみたいにふざけて、悪ふざけで、通用する相手なの知ってて、そんときだってゲラゲラわらってお前こそ死ねなんて言い返してくるし!……おばさんが、怒った」「おばさん、理解できない怒り方するの、こわいの、だから最近ずっといい子でやってたのに、『亡くなったお母さんとお父さんの気持ちを考えられないの』『最低ね、最低のひとね、お母さんとお父さんが可哀想、可哀想可哀想』って。クラスメートにも怒った。クラスメートは、飛び出して行っちゃった」「ぜんぶうまく、うまくやってたのに、やってたつもりなのに」

ククの冷たい指先が呼気のしろいわたしの頬をモンシロチョウのように滑る。

「泣いてない」

「泣いてる」

「泣いてない」

「……泣いてよ」

ごく自然に抱き締められる。彼は、ほんとうに冷たい身体をしたひとだった。夏のみぞれみたいなひとだった。

「俺がぜんぶ知ってること、知ってて」

「ぜんぶ知っててくれるの」

「おしえて」

麒麟にはなれないことも?」

麒麟にはなれないことも」

「冬の線香花火にも、冬のモンシロチョウにも、ククにも、何者にも、なれないことも?」

「うん」

「そっか」

背に手を回す。そうすると案外あったかくて酷く安心して、涙が、でた。花や蝶をも起こさぬよう、静かに。

やってきた電車に、乗り込んだ。繋いだ手から伝わる温度と、どこまでいけるだろうか。