黒とエトワール

レイトショーの終演、ステップ踏む帰り道のスパンコール纏う夜は羽根が生えるから背が痛んだ。

此処は明るい黒。あの決して此処ではない世界を、此処に溶かし込む。扉は開けない、此処は確か物音を嫌うから。



スクリーンのなかの彼らは恋だ愛だを唱えたが。

わたしがわたしでしかない薄い色の時間帯、地面に風化した羽根踏み付け、冷えた瞼の裏側揺らぐ残像に息を吐く。よくひかる銀河系に手を振った。朝が、焼ける。

はじまりは花が咲いて摘まれるように単純、その日は月がしろくて、音楽で移動教室だった。途中の狭苦しい、踊り場。ひっそりとしたポワント、静かに降りるプリーツスカートのグレーの行方は。

集うすこしのにんげん。すぐ逸らすつもりで向けた視線。

青という色の真髄。

「綺麗」

壊れたピルエットの、行方は。

目を見開く。妙に輪郭のはっきりした金属質なその声、その僅か一言に心臓は焼け、喧騒の一切は止み、弾かれたように勢い良く振り返る。人工的に色素の抜かれたそのシルバー・ブロンドの隙間、射るような視線が額縁のなかの青に注がれている。

瞳の黒は、明るい。


雑踏、その引力に抗えずに暫く立ち尽くした。この感覚を、わたしは知っていた。音楽室独特の塞がれた空間、椅子に腰掛けながら矢張り立ち尽くしていた。

たぶん焼けた朝、ガブリエル・フォーレ夜想いのエレジー。迫る旋律、グレーが不安げに脚に張り付く。ごめんね。


仕組まれたように均等におなじ濃度だったクラスメイト、すこしずつ着実に生まれ変わる対照をじいっと見詰めた。浮世離れしたうつくしさを持つひとだった。ククくん。幽霊のように白く尖ったその耳を突き刺すインダストリアル・ピアス。わたしは、あれに成りたくて為りたくてなりたくて堪らなかった。

「ククくんおはよう」

「...どーも、おはよう」

「ククくんおはよう、桜に緑が馴染んだね」

「おはよう。そう。俺は雨でも降ればいいとおもうけど」

「じきに嫌でも降るでしょう」

「ククくんおはよう」

「おはようレレさん」

警報が鳴ってた。彼はなにをかんがえているのかわからない。その瞳はいつもひとつ向こうの惑星を見ていて、きっと此処はセピアだ。

わたしは此処にしかいられないのに。


用も無く隣に立てる関係になるまで、時間はそうかからなかった。彼は纏う空気こそ独特だったが、声を掛ければいつも言葉を小気味好く放ったから。

そうだ、彼はにんげんを此処を地球を宇宙を呪わない。

「つぎはこの色ね」

「傷んでやべぇっつってんだろ」

「わたしはもっとシルバーが良いの、雪と見間違うくらい」

「だーかーら」

「傷むって?なにを今更...ああ、初めまして。レレ、さん?」

にんげんを、呪わない。


踏切警報機、目を凝らせば傍に咲く小花が神経質に揺れている。摘めば枯れてしまう、摘まなくても枯れてしまう。

追い風が吹いていたとかそんな程度、理由はいくらでもおもいついた。引力に引き摺られる振りの振り、おなじ高校に進学してまで彼を追った。

「レレさん、高校おなじだったんだ」

彼はわらった。白昼夢のような高校三年間で、悪魔みたいに、一度きり。

レイトショーを観る回数が減った。爪先の痛みが引いていく。羽根は舞う。警報が、鳴り止まない。彼はきっと、消えてしまう。なにも言わず、鮮やかすぎる青に解き放たれどこか遠い世界へ。

船を漕ぐ。

船を漕ぐ。

船を漕ぐ。

ねえ、此処はどこ。もしかして、あの夜の明るい黒から抜け出せていないの。

船を漕ぐ。

パチンッ。

「この街を、でた?」

波打つポワント、グレーごと、青まで崩れ落ちた。ごっそりと奪われたような、焼けるような五年間、胸元の赤い祝福の花すら知らない。


あれから一年と二ヶ月。つめたい雪は融け、あの頃より夜深い終演時間の半券と明るい黒だけが、積もっていた。


《じきに梅雨です、会えませんか》